ベルグらしく、お二人を偲ぶ会

この春、

ベルグにとって大切な大切な方がお二人

天へと旅出たれました。

お二人のことが大好きな、ベルグで出会った人々総勢40名が全国津々浦々から久方ぶりに集まり

これまたベルグらしく盛大に

内川さんと能地さんを偲ぶ会が催されました。

長年のお客様はもちろん、その頃ベルグでお仕事してくださっていた方々も何人もいらしてくださいました。

中でも小澤さんは最年長の91歳!

お義母さんには素敵な右腕がいたんだなぁと思いました。

内川さんがベルグハウスへ初めて来られたのは

もう50年以上も前のこと。

「新婚旅行でお父さんがスキーに連れて来てくれたときに初めてベルグさんへ寄せてもらってね、それから全てが始まったんだわね」

そう奥さんが話してくださいました。

足を運んでいただいた数は数えきれません。

まだオリンピック道路もない頃、大町では湖の脇のテカテカに凍る道を車を走らせていらしたのだそうです。

カウンターの一番右端が内川さんの指定席♪

内川さんは毎年、一冬の間に何度も何度もベルグへいらっしゃいました。

きれいな白髪、いつもすっきり短髪スポーツ刈りで、

若い頃はさぞかしモテただろう凛々しいお顔立ちと

さすが元消防士、きっちり鍛えあげられた筋肉質なその大きな背中は

とても70を過ぎてるとは思えない、本当に素敵なおとうさんでした。

ロビーやレストランで他のお客様にも気さくに声をかけられ、

どなたともすぐに仲良くなってしまう内川さん。

内川さんには、ベルグでできたお友達がそれはそれはたくさんいらっしゃいました。

毎年栂池のシニアシーズン券を必ず購入し、昼間はしっかりスキーを堪能♪

夜はロビーで、毎回たくさんお持ちくださるおつまみとビールをみんなにご馳走♪

私たちが仕事を終えると「やぁやぁ、お疲れさん。まぁまずは一杯。どうぞどうぞ」と

缶ビールをプシュっと開けてはバイトの子らにまで♪分け隔てなくみんなに

いつも笑顔で労ってくださいました。

初めてお会いしたときから最後まで、内川さんは私を「優子さん」と呼んでくださいました。

うちの旦那様が生まれる前からベルグへいらしている内川さんは、

彼の赤ちゃんの時、幼い時、思春期の時、みんなから「シュウちゃん」と呼ばれてる頃も共に過ごしてこられているはずなのに、

いつも必ず「シュウジさん」と呼んでくださいました。

ベルグダイナミックスキークラブを立ち上げられ、

毎年3月初旬の土曜日にみなさん集まって、スキー大会が開催されていました。

翌日曜日はベルグ杯というスキー大会もあり、

表彰式では歴代優勝者の名前が書かれたたくさんの短冊がぶら下がる立派なトロフィーに賞状と、

出場者全員に記念品が配られました。

そのあと振る舞うおこわと豚汁を用意するのと、

パン喰い競争用に竿に菓子パンを糸で吊るし準備するのが、毎年の私の仕事。

旦那様はコースの準備と回転と滑降の前走を務めていました。

夫の滑る姿は一年に一度、このベルグ杯でしか見られません。

「おーい、優ちゃん!ほら、ここで惚れ直しとかないとー。また1年もたないぞ~」って、

いつも皆さんが声をかけてくださいました^^

スタッフも大会を盛り上げるため、この日は大忙し。

全員に『仮装滑走命令』がくだされておりますので、朝食の片付けと部屋掃除をダッシュで終わらせ11:00にはみなさんに合流せねばなりません。

毎年思い思いに工夫しながら準備して、楽しく参加させていただきました。

大会の最後には必ず内川さんが全員の記念写真を撮ってくださり、

次来られる時には額縁に入れて、毎年毎年贈ってくださいました。

80才近くなる頃にはだんだん足が弱り、

車が大好きな内川さんがクラッチがうまく踏めなくなったと弱音を吐かれ、

ベルグの玄関の階段を上がってくるのも難しくなり、

とうとう来られなくなってからは「ベルグに行きたいと涙をこぼすのよ」と聞いていました。

30年以上も前のベルグ杯の様子を撮影したビデオを持参してくださった萩野さん。

大きなテレビ画面に映し出される皆々様のお姿は

どなたもまだ毛がフサフサ、イケイケで♪

女性陣は聖子ちゃんカットや太眉メイクが眩しく♪

若かりしお義父さんの姿もそこにはあって、

話でしか聞いたことがなかった、その昔ベルグにあっという25mプールの存在を

私も初めて目にすることができました。

古いアルバムが並び、見せてもらっていると

懐かしいベルグのロビーや館内の写真がたくさん出てきて。

「ん?うちの息子?え?」

よく見たらそれはうちの旦那様で^^

ちょうど息子と同じ5年生の頃のパパは、息子にまったく瓜二つでした(笑)

 

能地さんご夫妻はベルグで知り合いご結婚されました。

スタッフみんなのアイドルだった可愛い可愛いみっちゃんを射止めた能地さん。

当時一緒に働いてた方々は「おい、みっちゃん!なんで能地なんだ!」って

何十年経っても叫んでました(笑)

メタセコイヤの木のそばにあった「新雪」というログハウス風のバー。

その時代大流行したのがハイボール。

ジュークボックスがあって都会で流行りの音楽を聞きながらアフタースキーを楽しむってのが

とにかくカッコよかったんだそう♪

「ここは東京より楽しめる!」

そうお客様が喜んでくださった、栂池が賑やかな時代があったのだそうです。

お二人はその新雪で、お母さん手作りのウェディングドレスを着て結婚式をされたそうです。

ダイアナ妃みたいに素敵なお帽子を被った、それはそれは美しい花嫁さんの写真を見せていただいたことがあります。

昨シーズンのある日、フラりと玄関を入ってきた能地さん。

「やだ~!久しぶり能地さ~ん!」

ひどく痩せていたその姿に驚く私に、

いつもの優しい笑顔と優しい語り口でいろんな話をしてくださいました。

そこへまたまた懐かしい顔が数人集まり「でもまぁみんな、年とったよな~」なんて笑いながら、一緒にコーヒーを飲みました。

春のとても綺麗によく晴れた、栂池が美しい暖かな日でした。

ふと能地さんと二人きりになった時「優ちゃん」と。

「優ちゃんさ、人生っていろいろある。いろいろあるけどさ、優ちゃんは笑ってればいいよ。

そう!優ちゃんは笑ってるのが一番。優ちゃんが笑ってれば大丈夫」

そう優しく微笑まれたのでした。

体も目頭も、カーっと熱くなりました。

数年前までは簡単にできていたことも、鉛のように重く固まりきった私の体はまったく言うことを聞いてくれず、

恐らくお義父さんお義母さんの意に反してだったであろう、女将を引退させてもらい、

旦那様の理解と協力のおかげで、夫婦で先頭きって突っ走るのではなく後ろから見守る新しいベルグのやり方を模索しつつも

嫁が私でなければよかったんじゃないか?と思うこともしょっちゅうで。

そんな私に「笑っていればいい」

・・・心に響きました。

 

16年前、初めて参加したベルグ杯の宴の席で

「みなさん、宗志のお嫁ちゃんの優ちゃんです」とお義母さんから紹介いただいた時、

心臓が口から出そうに緊張していたのが昨日のようです。

懐かしいたくさんのお顔を拝見しながら

ベルグを通して四方八方に繋がった人々の暖かい輪と絆に

「昭和」という良い時代が見えました。

湿っぽいのは嫌いなお二人。

今夜はベルグらしく賑やかに楽しく飲もう!

お二人の写真を真ん中に、思い出話はつきませんでした・・・

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お集まりいただいた皆様、

本当にありがとうございました。

ベルグハウスの歴史の中に欠かすことのできない皆様の存在、

ベルグが辛いとき、支えってくださった皆様の存在があって

今も私達家族はここで生きていられます。

そして、その中心にデンといらしてくださったのが

内川さんでした。

私達の結婚式のとき、マイクを握ったまま涙が止まらず

むせび泣きながらお話しくださった内川さん。

みんなの心に、ベルグハウスに、

内川さんも能地さんも生き続けます。

またいつでもフラりと気軽にベルグへお帰りください。

ベルグはずっとここにあり、

いつでもみんなで待っていますから♪

 

ベルグへ嫁いできたからいただけた出逢いがたくさんあります。

ベルグを真ん中に繋がる人々。

とても素敵で、あたたかい一夜でした。

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